いろんな神社へお参りに行っている人なら、神社の名前で気がつくことがあるのでは。そう、別々の場所で同じ名前。
多いのは、頭に地名がついて「●●八幡宮」だったり「●●稲荷神社」だったり。「何か関係があるのか?」と感じた人、大正解! 実はそのとおりで、同じ名前の神社は基本的に同じ神様をおまつりしている。
たとえば、全国各地にある八幡宮は「八幡信仰」、稲荷神社は「稲荷信仰」という風に、ご祭神が同じ神社は同じ名前でグループといえる。いつから、どうして、そんなことになったのか。

神社の名前にもブームがあった?人気が出たら全国区に

神社の歴史は神代の昔といわれるほど古いが、そもそも神社が増えていったのは、それぞれに各地域を守る神様やご先祖様をまつったのが始まり。
そこに大きな変化が起きたのは、平安時代。人の行き来が増えていくと「どこそこの神様はたいそうお力があるらしい!」とクチコミで神様の評判が広まって全国的にもその名を知られる、いわば人気の神社が登場するようになる。

「うちらの地域でも、この神様をおまつりしたい!」と思った人たちが何をするかといえば、「勧請(かんじょう)」といって、もとの神社にお願いして神様の分霊(わけみたま)に来ていただき、希望の場所におまつりした。
そうやって同じ名前をもつことになった神社グループが各地に誕生。具体的に紹介すると、たとえば
・“八幡さま→「●●八幡宮」「●●八幡神社」
“お稲荷さん”→「●●稲荷神社」
・“お伊勢さま ”→「●●神明神社」「●皇大神宮」「●●天祖神社」など
・“熊野さま”→「●●熊野神社」
他にも同じ名前をもつ神社グループはたくさんあるが、特に数が多い、この4つのお名前について歴史と由来を調べてみよう。
 

武家に愛された“八幡さま”→「●●八幡宮」「●●八幡神社」

全国でいちばん数が多い神社のお名前とは、おそらく「八幡(はちまん)さま」。八幡神社、八幡宮と呼ばれ、数え方にもよるが日本中に数万社あるともいわれる。
そこでまつられる主なご祭神は「八幡大神」こと第15代応神天皇。ご在位は西暦300年前後という遠い昔で、文武に優れ、日本の国を飛躍的に発展させたことから神様としてまつられた。
250年以上後になって突然、九州のある場所に子どもの姿で現れ「私は誉田天皇広幡八幡麿(ひろはたのやはたまろ)である」と名乗られた、という伝説があり、その地に八幡さまをまつる宇佐神宮大分県宇佐市)が創建された。元の名前は、宇佐八幡宮。


宇佐神宮(ハッケン!ジャパン神社ページ)


この神様は託宣(お告げ)がお好きなようで、託宣によって奈良時代になって初めて奈良の都に勧請されたり、平安時代の京都に石清水八幡宮が創建されたりしている。
その後、日本で最も強力な武家となる「源氏」が氏神様としてまつるようになり、源氏の活躍とともに八幡神社は全国各地に広まっていった。たとえば大河ドラマでおなじみ源氏の頭領・源頼朝が鎌倉幕府の守護神と信奉した鶴岡八幡宮が、その代表的なものだ。

ご近所の「八幡さま」は、なんだかホワっとしたイメージかもしれないが、このように歴史的には格式高い武家の神様だったのだ。

 

庶民に絶大な人気の“お稲荷さま”→「●●稲荷神社」

神社の数でいうと八幡宮・八幡神社グループに次ぐといわれるのが「稲荷(いなり)神社」だ。数え方によっては、こちらが多いという説も。

お稲荷さま」の呼び名で親しまれ、狛犬ではなく狐(きつね)の像に迎えられる、そんな神社に行ったことがある人も多いはず。
稲荷神社の主なご祭神は、五穀・食べ物を司る神様「ウカノタマノオオカミ」、別名「稲荷神」とも呼ばれている。狐さんは、そのお使い(神使)だ。

日本人の大多数が農業をしていた時代、五穀豊穣は庶民にとって幸せへの願いだった。、そのためにお稲荷さんは庶民に愛される神様になった。
八幡さまが源氏をはじめとする武士の守り神だったのに対し、お稲荷さまは、主に農民や商家など庶民の手によって日本全国に広まっていく。


島根県津和野町の太鼓谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)。稲荷ではなく「稲成」と書くのはこちらだけ

その結果、昔からある神社だけでなく、富裕な商家の敷地に自分用の小さな祠(ほこら)を建てておまつりする人もいた。今でも老舗の料亭や商家に行くと、結構残っていたりする。

かつて日本の家庭では、台所や厠(かわや、トイレ)など、いろんなところに神様がまつられてきた。そのように身近な存在として、お稲荷さまは庶民から大事にされてきた神様だ。

 

総本社は“お伊勢さま ”→「●●神明神社」「●●皇大神宮」「●●天祖神社」などお名前いろいろ

名前はいくつかに分かれるが、このグループの共通点とは、総本社が日本一有名な神社である伊勢神宮(内宮)であること。いずれも太陽の女神「天照大神(アマテラスオオミカミ)」をまつる神社で〇〇の「お伊勢さま」の呼び名で各地域に親しまれていることが多い。
神社名に「神明(しんめい)」「皇大(こうたい)」「天祖(てんそ)」、そのどれも入っていなくても「〜大神宮」と名が付くのは、伊勢信仰グループ。たとえば「東京のお伊勢さま」として知られ、縁結び祈願で女性に人気の「東京大神宮」がその例だ。

「東京のお伊勢様」と呼ばれる東京大神宮

ちなみに伊勢神宮の正式名称は、地域名が入らない「神宮」、ただそれだけ。神社の間で「神宮」は、すなわち伊勢の神宮のことを指す。
ご祭神であるアマテラスオオミカミは天皇家の祖神、すなわち天祖で、この神様をまつることから伊勢の神宮は、平安時代には既に絶大な人気だった。本社と勧請した神社との上下関係は一般にないといわれているが、伊勢は別格。すべての神社の「総本社」にお参りに行ってみたいと思うもの。
今のように個人で直接参詣することは当時許されておらず、参詣者に便宜を図る「御師(おんし)」のもと、グループツアーのように「お伊勢さま参り」が行われていた。江戸時代はそのピークで、年間に数百万人の参詣者がいた年もあるとか。

交通が便利になり人口も増えた近年は、それよりずっと多くの人が訪れている。コロナ禍で一変とはいえ、おうちのなかの神棚に、伊勢神宮のお札はいちばん多く入っているはず。
どこの神社でも、自社の御祭神のお札とともに伊勢神宮のお札をいただくことができる。新しいものにしておこう。

 

シンボルマークは八咫烏(やたがらす)→「●●熊野神社」

八咫烏(やたがらす)」と言葉で聞いてピンとこなくても、このマークを見たことがある人は多いだろう。サッカー日本代表のユニフォームにもあしらわれている三本足の鳥は、日本神話にも登場する導きの神様。全国各地にある熊野神社で見られる。

熊野信仰の総本社は、ユネスコ世界文化遺産にも登録された、和歌山県の熊野三山。八咫烏は熊野三山の神々のお使い、神使(しんし)だ。
熊野三山のご祭神はケツミミコノオオカミ・クマノハヤタマオオカミ・クマノフスミノオオカミ。他ではあまり見られない名前の神様だが、それぞれに、スサノオノミコト・イザナギノミコト・イザナミノミコトの別名だといわれている。
こちらも広まったのは伊勢信仰と同じように「御師」(おんし)の力が大きく、平安時代後期から熊野参詣が大流行。熊野三山に続く道は「蟻(あり)の熊野詣」と言われるほどの大にぎわいだったそう。



ちなみに、人気の秘密とは「熊野=浄土」と見なされたこともある。浄土とは、全ての人を救う阿弥陀如来の住む極楽浄土のこと。「それって仏教の話じゃないの?」と思う人もいるかもしれないが、八百万の神が仲良く暮らす日本という国、そこの境界線もまた曖昧だった。仏教伝来後、こんな信仰が誕生した時代もあったのだ。
神様と仏様を一緒におまつりする「神仏習合」の名残りは、いまでも日本全国のさまざまな神社やお寺で見られる。もちろん、そのすべてが熊野信仰というわけではない。

 

今回は、全国的にも特に数が多い神社のお名前4グループについて紹介した。

表向き上下関係も密接なつながりもない「総本社」と、そこから勧請によって誕生した各地の神社だが、同じ系列で勉強会や親睦会など、神職の方々同士では交流もあって、いわば緩やかにつながっているんだそう!
出かけた先で、大好きな神社や近所にある神社と同じ名前を見つけたら、それはきっと、ご縁がつながっている証拠。時間が許せばお参りしていくと、何かいいことがあるかもしれない。
 


 

原文/平井かおる(日本の神道文化研究会) 

イラスト/今井未知 www.michiimai.com
 


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