こんにちは。写真家の齋藤ジンです。
昨年始めた連載企画、今年に入ってからも緊急事態宣言でなかなか外出もままならなくなり、連載の原稿をアップする時期もずれ込んでしまいました。
2021年も4月に突入し新年度がスタート。また、全国の優美な城郭についてお届けしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

さて、連載3回目の「日本の美しい城」は、東京都心からも比較的近い埼玉県行田市にある「忍城」(おしじょう)です。2020年秋に行ってきました。

忍城は、室町時代の文明10年(1478)、この地域を治めた成田氏により築城された平城(ひらしろ)です。この城は利根川と荒川に囲まれた沼地の地形を生かし、そこに点在する島に橋を渡す形で築かれました。
つまり、広大な沼池を曲輪(くるわ、堀や石垣)とする、天然の要塞だったわけです。


現在は、昭和63年に再現復興された三層の櫓(やぐら)「御三階櫓」だけが建っています。模擬天守ですが、水の中に浮かぶ美しい城郭を想像し、そのイメージと重ね合わせてみると、とても美しく思えてきます。

忍城が有名になったのは、豊臣秀吉が小田原征伐で関東に攻め込んだとき、2万という大軍を率いた石田三成による水攻めに耐え抜いたことからです。「この城は水に浮くのか!」と敵方に恐れられ、「忍の浮城」(おしのうきしろ)とも称されました。

ちなみに三成の水攻めとは、利根川の上流を堰き止め、忍城一体の湿地帯に水を流し込むという作戦だったようです。
普通に考えても、ちょっと無茶な感じもしますよね。しかし、それに耐え抜いた忍城はまさに、関東屈指の難攻不落の名城です。

当時の城主の弟・成田長親と仲間たちが活躍する忍城の攻防戦については、ベストセラーになった小説で映画化もされた「のぼうの城」にも描かれましたね。
「のぼうの城」は史実をもとにしたフィクションですが、その後どうなったかを簡単に知っておきましょう。
水攻めの後、小田原落城で成田氏は結局は忍城を明け渡し、その後徳川幕府によって忍藩が誕生して藩庁とされ、明治時代の廃藩置県によって城は取り壊されてしまいます。

一部を再建された忍城は、いまも歴史ファンに愛され地元の文化財「行田郷土博物館」となっています。


さて、現在の忍城公園入り口前の国道125号線を挟んで反対側には「忍諏訪神社・忍東照宮」が鎮座します。

忍諏訪神社は、忍城の築城とともにこの地に建てられました。忍東照宮の方は、後の徳川の時代に忍城・忍藩の主となった松平忠明(家康の孫)により建てられたものです。

同じ敷地内に諏訪神社と東照宮の両方がありますが、元々あった城の鎮守の諏訪神社の方が小さい感じがしたのは、ちょっと悲しかったですね。やはり、家康公を祀る東照宮の名は偉大といったところでしょうか。(あくまでも私的感想です)

訪れたとき、一の鳥居をくぐったところにある立派なイチョウが綺麗に紅葉していました。

この御神木には謂れがあります。
明治に入ると、忍城は江戸幕府側の親藩だったために、明治政府から忍城一帯は何も残さず取り壊すよう命ぜられ、松や杉などの樹木まで伐採されることになったようです。その際、 諏訪神社の拝殿のすぐ近くまで樹木を切っていると、杉の木から突然、血のような赤いものが流れ出したそうです(忍諏訪神社の説明文より)。

「ご神木を切るとバチがあたる」、当時の人がそう思ったのは当然ですね。そのおかげで、「諏訪の大木」と言われる何本かの御神木が切られず、いまも残ったわけです。

 

もう一つ忍城とは別に、埼玉県内にある城郭をご紹介します。現在の埼玉県加須市にある、「騎西城」(きさいじょう)です。春に行ってきました。

騎西城もまた忍城主の成田家の傘下の城であったことから、戦国時代には多くの武将に攻められ、時代に翻弄されたようです。
徳川家康・秀忠の家臣であった大久保忠常が城主になった時代は栄えていたようですが、息子の大久忠職の時代に国替えとなり、廃城されました。

現在は、こちらも資料館としての模擬天守が建てられています。佇まいは結構かっこいいですよ。

というわけで、今回は関東埼玉に残る「忍城」と「騎西城」をご紹介しました。

次回また別の城郭についてお送りしたいと思います。どうぞご期待ください。

 


【おすすめ記事】

写真家が見る日本の美しい城(1)鶴ヶ城と会津の桜景色

写真家が見る日本の美しい城(2) 熊本城2020夏と大阪の城

写真家が見る日本の美しい城(4) 国宝・松本城と信州長野の城