こんにちは。写真家 齋藤ジンです。

東京も梅雨が明けて、蒸し暑い夏がやってきました。
今年の夏はオリンピック真っ只中。しかし、またも緊急事態宣言下で、外出もままなりませんね。
オリンピックの開催には賛否両論ありますが、出場選手にとっては人生かけた大舞台です。頑張ってもらいたいと思います。

さて、今回の美しい城は「松本城」と「上田城」「諏訪高島城」、信州長野の3つの城郭についてお届けします。
よろしくお願いいたします。写真作品は全て2019年以前に撮影したものです。

どの角度から見ても美しい、国宝・松本城

まずは、有名な「松本城」から。文禄2年(1593年)、当時この地を治めていた徳川家の家臣・石川氏により築城された平城です。
もちろん国宝で、現存天守12郭のうちの一つ。五層作りの大天守を構える城の中では最古とされています。

立地は高低差のない、典型的な平城です。冬場、天気の良い日には雄大な北アルプスの山並みを天守と一緒に見ることができます。
しかし、何と言っても松本城は、佇まいそのものが美しい城です。
壮大な大天守と、渡櫓(わたりやぐら)で繋がっている乾小天守(いぬいこてんしゅ)、そして大天守から突き出た月見櫓(つきみやぐら)。その一体感が、どの角度から見ても美しいです。
そして、気品を感じる白と黒のコントラスト。黒色の外壁は黒漆が使われていて、毎年塗り直しがされているようです。

時代が明治になり、日本各地の天守が取り壊され、松本城もまた競売になり落札されました。あとは取り壊しを待つだけという時、城下に住んでいた商人で自由民権家の市川量造が中心となって松本城内で博覧会を行い、その収益で城を買い戻したそうです。
四方に根回しをして頭を下げ、調整してイベント開催、集客そして収益につなげる。まさに、町人ならではの柔軟なアイデア。そして、とても優秀!
プライドがある武士では、なかなかこうはいかなかったと思います。武士の世は終わり、商いで動いていく世の中になったことが感じられる話でもありますね。

こうした城下の民衆の愛情があったからこそ城は守られ、今もその姿を残しているのです。
現世を生きる私たちからすると、先人に感謝しかありません。


天守の石垣すぐ下が水を湛えた内堀で、堀までの距離が近いため、風の無い日はきれいに「逆さ城」が見られます。
全国に数ある城の中でも、この3条件が揃う天守は松本城くらいかもしれません。
何度も見に行ってますが、都度違う表情が見られ、本当に美しい城ですね。

大河ドラマ「真田丸」の舞台、真田家ゆかりの上田城

次は、「上田城」です。松本城から東に山ひとつ越えたところにあります。
こちらは天正11年(1583)真田昌幸により築城されました。真田昌幸は大河ドラマ「真田丸」で草刈正雄が演じて大人気となった、主人公・真田信繁のお父さんです。


城の立地的には上田盆地の北側に位置し、南に千曲川、北西には太郎山、さらに矢出沢川を千曲川の下流部に引き込んで、強固な天然の要害を築きました。
武田、上杉、北条、織田、豊臣と、戦国時代の乱世をうまく渡っていった真田家らしい居城で、徳川家康の二度にわたる攻撃も撃退しています。
まさに鉄壁の守りがあったからこそ、真田の「国としての威厳」があったのだろうと感じました。

残念ながら、上田城に天守があった資料は存在していませんが(おそらく天守はなかった)、南櫓(みなみやぐら)が当時の面影を残しています。
眼下に真田の領地と千曲川の雄大な流れを一望だったのでしょうね。今でも想像はできます。


真田昌幸は知将として有名です。数多くの合戦で策を練り、長男・信幸を敵陣につかせたり、次男・信繁(のちの真田幸村)を上杉や豊臣の人質として差し出したり、まさに真田の家名と領民を守るために奔走した人物ですね。
天下分け目の合戦には必ず真田の名が出てきます。
大坂陣の際、最後には兄弟敵味方で戦わなくてはならなかったのは悲しいことですが、真田の血を絶やしてはならぬといった昌幸の並々ならぬ思いが感じられます。それもまさに、上田のため、真田家のためだったのでしょう。

築城時、真田昌幸の命により東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)北側に添えられたという真田石(高さ2mほどの巨石)は、現在でも昌幸の決意を伝えているかのように感じられます。

湖畔に築かれ、「諏訪の浮城」と呼ばれた高島城

最後に、諏訪の「高島城」です。
もとは諏訪湖の北部、茶臼山に築城されていた高島城。諏訪一帯を納めていた諏訪氏が、戦国に入り武田、織田勢力に攻略されて滅亡した後、慶長3年(1598)豊臣秀吉の家臣・日根野高吉により現在の場所(諏訪市高島)に築城されます。

ここはかつて諏訪湖畔に島状に突き出していた場所で、まるで湖に浮いているように見えたことから“諏訪の浮城”と呼ばれていました。
いわゆる「湖城」ですね。

 
現在の三層天守は、昭和45年に復元されたものです。
もとの天守は明治初期まで残り、写真にも収められています。それを見る限り、ほぼ今の形に近かったのではないかと思われます。
また、城内に温泉が引かれていた形跡も残っているようです。その頃にはすっかり天下太平になっていた、ということでしょう。


というわけで、今回は「松本城」「上田城」「諏訪高島城」、3つの城をご紹介しました。

戦国時代、この信濃國(現在の長野県)は国取り合戦の中心地に近く、そのために、裏切り裏切られ、策を講ずればその策に溺れ、そういったことが幾重にも小国間で繰り広げられていました。
つまり、ここ信濃ほど時代に翻弄された場所も他にはなかったのではないでしょうか。

次回、また別の城郭写真をお送りしたいと思います。ご期待ください。
 


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