日本酒の生産と消費が盛んな県というと、どこを思い浮かべますか?
第1位は灘の酒で有名な兵庫、2位が伏見がある京都、3位は米どころの新潟。ここまで容易に想像がつくはず。続く第4位に入るのが、埼玉県です。
なかでも秩父は、昔から「秩父に銘酒あり」といわれてきました。
山々に囲まれた風光明媚な土地柄に、酒蔵が4軒、ワイナリー2軒、ウイスキー醸造所1軒。全国でも有数の酒づくりの町で、「ちちぶ乾杯共和国」という楽しいイベントまで開催されているほどです。
そんな観光的な魅力もたっぷりの秩父で、江戸時代中期の 宝暦3年(1753年)から続く酒蔵の「武甲酒造」をご紹介します。
国の登録有形文化財にも指定されている武甲酒造の店舗。江戸時代に建てられた建物が今も使われている
酒どころ秩父の町で十三代つづく老舗の酒蔵
秩父の古き良きものを受け継ぎ残していきたいのだと話す、武甲酒造社長・十三代目の長谷川浩一さん。
武甲酒造の第十三代当主は、社長の長谷川浩一さん。弟の長谷川武史さんが杜氏を務め、ともに東京農業大学の醸造学科の出身です。
「親の背中を見て育ち、大学で東京に出たけれど、いずれは秩父に戻って後を継ぐつもりだった」という十三代目は酒類学研究室で学び、卒業論文は酵母について。息子さんもまた同じの道を歩んでいるのだそうです。
だからこそ武甲酒造には「自社培養室」があり、酒造りに使用する酵母は自社で培養。酵母が酒の味を左右することになるだけに、目指す味にするため日々研究を続けています。
出来上がった日本酒を利き酒する、杜氏の長谷川武史さん
日本酒造りにおいては、十三代目が杜氏と話し合って酒質を設計するところから開始。米、精米歩合など事細かに決めています。
そして和釜と甑(こしき)を使った昔ながらの手法で、精米から瓶詰め、包装までを手作業で行っています。
米をつぶさないように、甑に米を入れる際は晒(さらし)を敷き、晒ごと引き上げるなど、おいしい日本酒ができるように細心の注意を払ってつくります。
自社酵母を使って室温30度の製麹室で48時間を費やし、米麹を造る
仕込み水は「平成の名水」、武甲山伏流水を使用
日本酒造りで欠かせないのが仕込み水。武甲酒造の敷地内には「平成の名水百選」にも選ばれた武甲山伏流水がこんこんと湧く井戸があり、その水を使用しています。
敷地内にかけ流しで湧く武甲山伏流水。容器を持参すれば自由に汲んで持ち帰ってよいのだそう
「わかりやすく言うと、灘の男酒は硬水で辛口、伏見の女酒は軟水でやさしい味。それに対して秩父の酒はミネラル分が豊富な中硬水で、やや辛口に仕上がります」(長谷川社長)
伏流水の源となる山を維持することも大切。長谷川さんは山の保全にも力を入れていて、秩父広域森林組合の理事も務めているそうです。
「山の自然を守らないといい水は生まれませんし、後世に受け渡すこともできません。植林、枝打ち、間伐など、手をかけています。うちでも山を所有して、酒作りに必要な道具を木で作っているんですよ」
仕込みだけではなく、米ぬかをとる洗米、さらに蒸し上がった米を蒸米にするまで、すべて武甲伏流水を使用。そのほか、布や道具、瓶の洗浄も一切交じりっ気のなしのピュアな伏流水。
だから口にする私たちにとっても安心安全、という贅沢極まりない環境です。
「日本酒を1升作るには30升もの水が必要になり、こうして量を気にせず水を使えることは重要。しかも極上の武甲伏流水だから、酒造りをするうえで最高の環境です。だから、この場所でつくっているんですよ」
酒造りは気温に左右されない「土蔵」で
武甲酒造の仕込み蔵は、壁の厚さ30cm、築200年の「土蔵」(どぞう)。日本全国で近代化が進むなかで土蔵の姿は消え、残していても、そこで仕込みまでしている酒蔵は希少。まして、これだけ大きな蔵はなかなか見られません。
数年前に大がかりな改修工事を行ったほか、毎年メンテナンスが必要。武甲酒造のおいしい日本酒造りには欠かせない土蔵
「土蔵のメリットとしては、室温が6度で、ほぼ一定していること。秩父は盆地なので、冬場は武甲おろしが吹き、寒暖差が20度以上もあります。乾燥する冬も土壁の中は暖かく、また梁が木だから湿気を吸うんです」
寒暖差が激しく湿気が多いと人間の体もつらいもの。じつは日本酒も一緒で、気温の変化が少ないことでリラックスして自然とよい発酵ができ、おいしい日本酒になるのだそうです。
日本酒が発酵する適温とは、純米酒や本醸造などは15度。だから暑い夏場は適さず、日本酒造りには冬場の「寒造り」が多いのはそのため。
「土蔵と日本酒の関係は不思議なもので、自然と温度が上がって15度で発酵し、できあがるとまた自然に温度が下がっていくんですよ」
なるほど、秩父の恵まれた自然と昔ながらのやり方で丁寧につくられる、唯一無二の日本酒なのだということがわかりました。
山々に囲まれる秩父。土蔵の2階に上がると、晴れた日には武甲山も一望できる
秩父市の災害用指定井戸として地域に貢献
武甲酒造が秩父にとって貴重な存在であるのは、安心して飲める美味しいお酒をつくっている、それだけではありません。
1995年に起こった阪神淡路大震災で、灘の酒蔵仲間に安否確認を取った際、近隣の人たちに仕込み水を配っていたことを知った十三代目。そこから2年以上をかけて、敷地内の井戸を秩父市の「災害用指定井戸」とする認可をとりました。
「近年特に災害が多発していることを危惧しています。人間は水がないと生きていけません。幸いに、酒蔵には潤沢な井戸水があります」
酒造りの熱源も、かつて重油ボイラーを使用していましたが、災害で破損した場合に漏洩の危険性があると考えて一念発起、LP(液化天然)ガスのボイラーに変えたそう。このときは東日本大震災がきっかけになり、いざというときに炊き出しをしたいとの想いもありました。
「酒蔵には米もあります。これで災害時に、炊き出しもできるようになりました。うちの日本酒を長く愛してくださる地元の方々に、なんとしても貢献したかった。これで万全の体制ができました」
日本酒の飲み方として料理と合せるペアリングを提案
土蔵に並んで建つ酒屋としての歴史を刻む店舗では、清酒、大吟醸、梅酒、粕取焼酎など、カップ酒から樽まで50種以上を販売。
そのほかに、塩麴、からみそといった日本酒や麹を使った加工品も豊富に置いてあり、秩父のお土産として人気だそうです。
どっしりとした木の質感が美しい店舗には、つくりたてのお酒や秩父の山の幸がずらりと並ぶ
十三代目は、日本酒と料理のペアリングを提唱。それができるのも、各々の日本酒について知り尽くしているからこそなせる業です。
「漠然と、美味しいお酒どれですか、ではなく。たとえば肉料理なら原酒でロック、魚料理ならばお燗もいいなど、料理によって合う銘柄や飲み方も異なります。ペアリングを提案することも、酒屋である私たちの仕事の一つと思っています。ぜひ気軽に聞いてください!」
どのお酒も後味がキリッとして美味しいのですが、料理に合わせて選ぶことで、たしかに味わいがグンと深まりそう。
秩父の梅と米で造った甘酸っぱいお酒「桃萌」(720ml1000円)、本醸造「武甲正宗」(720ml1000円)、米と米麹のみの伝統的な日本酒「秩父 純米酒」(720ml1000円)、淡白な料理におすすめの「武甲正宗 大吟醸」(720ml3058円)
「去年よりも今年、今年より来年と、もっといい酒にしていきたいです。皆さんにおいしかったといっていただけるように、精進します」
日本初、7つの酵母を使った新酒を発売
この春、十三代目にとって、楽しみにしていたプロジェクトがまたひとつかたちになりました。
秩父の有志で作った酒米「秩父産山田錦」と、埼玉県産業技術総合センター北部研究所が開発した清酒酵母「埼玉酵母」の7種を混ぜた「レインボー酵母」で仕込んだ新商品「彩虹」が2020年3月15日に発表されました。
日本酒は通常1~2の酵母で造るもので、7つもブレンドするというのは日本初の試みだそう。
「つくれる本数には限りがありますが、ぜひ飲んでみてほしいです。さまざまな新しいプロジェクトにチャレンジして、業界全体を盛り上げたいですね」
香り高く、乾杯酒にもおすすめと早くも好評。期待の新商品「彩虹」
武甲酒造では、酒蔵見学を事前予約制(無料)で行っています。
十三代目のお話や、歴史ある酒蔵を実際目にすれば、日本酒について新たな発見があるはず。秩父観光の折は、ぜひ立ち寄ってみてください。
武甲酒造
埼玉県秩父市宮側町21-27 TEL.0494-22-0046
http://www.bukou.co.jp/
協力 秩父市観光課
秩父観光なび https://navi.city.chichibu.lg.jp/
撮影/齋藤 ジン https://www.saitojin.com/
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