皆さん、こんにちは。令和初ミスター土方です。
真夏日の続く中、いかがお過ごしでしょうか。熱中症と、逆に冷やしすぎにも気をつけましょうね。
さて、ご縁をいただきまして6月に會津の地で、新選組も汗を流した天然理心流 試衛館のお稽古に参加。さらに、近藤勇ゆかりの血梅植樹祭という歴史的瞬間に立ち合わせていただきました。
今回の旅は、福島県会津若松市へ。
新選組と縁の深い会津藩主・松平容保公の居城であった会津のシンボル、鶴ヶ城。その敷地内にある武道場の「武徳殿」から始まります。
近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎など後の新選組の面々が切磋琢磨し腕をみがいた、天然理心流。
江戸時代の寛政年間 (1789年~1800年)に創始された、剣術・居合術・柔術・棍法(棒術)などを含む、総合武術です。
天然理心流 試衛館では、入門を前提とした稽古の見学を受け付けておられます。
礼に始まり、稽古開始です。
試衛館さんのご厚意で、私も動きやすい服に着替えて稽古を受けさせていただきました。
実は、今回の出稽古以外に、体験会にて基本的な動作を何度か体験させていただいたことがあります。
木刀をお借りして素振り、構えの稽古。
忘れていた筋肉の動きや力の入れ方を思い出しながら、移動稽古へ。
私の体は素振りだけで悲鳴を上げてしまい、一時撮影に専念。全身の筋肉を使うので、体力がないと、すぐにバテてしまいますね。
休憩させていただきながら、じっくりと武徳殿の中を拝見。
とても天井が高く、木刀が風を切る音、ぶつかる音、床を擦って歩く音、そして門人の皆さんの発声が良く響きます。
所作や足さばき一つ取ってみても、積み重ねてきた鍛錬の証が見えてきます。
門人の皆さんの体力が凄い!
組太刀は、二人一組で打太刀と仕太刀に分かれ、打太刀が決められた所に打ち込み、仕太刀がそれに応じて勝ちを得るべく所定の技を施します。
木刀から竹刀に持ち替えて防具を装着、己(おのれ)の技を磨いていきます。
私も竹刀で打ち込みのお稽古をさせていただきましたが、ここでトラブル発生!!
慣れない稽古で足腰が限界だった私は、派手に転倒。足裏の皮が今まで経験したことのないくらいに剥けてしまいました。
(体験会では怪我するようなことはないので、安心してご参加くださいね)
最初のほうで天然理心流を総合武術とお伝えしましたが、剣道と違うのは、倒れても反撃して諦めないところ。相手の隙を狙う姿に、新選組の強さを感じました。
試衛館の皆様、とても貴重な体験をありがとうございました!
その翌日は少し肌寒く、雨雲が心配な中、会津若松市内の天寧寺さんへ。
「萬松山」の山号を持つ、曹洞宗寺院の天寧寺(てんねいじ)。
松平家歴代藩主が眠る墓所にも近いこのお寺の裏にある墓地には、土方さんの刀を打った会津刀匠・和泉守兼定、そして新選組局長・近藤勇のお墓があります。
会津戦に参加していた土方さんが、京都守護職を務めた会津藩主の松平容保公にお願いして、会津城下を見渡すこの天寧寺に近藤さんのお墓を建てました。埋葬したのは遺髪等と伝えられています。
天寧寺から鶴ヶ城が見えます。
お父様が新選組研究家だった、東京・日野の谷亨司さんのご厚意で、血梅の植樹祭に参列させていただきました。
梅と言えば、俳人でもあった土方さんの豊玉発句集内の一句「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」が有名ですが、実は近藤さんにも「血梅(ちばい)」の逸話があるのをご存じですか?
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近藤さんがまだ多摩で、天然理心流 試衛館の道場主として腕を磨いていた頃のこと。
ある日、近藤さんは八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)の一人、石坂弥次右衛門を訪ねます。
八王子千人同心とは江戸幕府の職制のひとつで、甲州街道の整備や八王子周辺の警備、日光東照宮の警備など多岐にわたる仕事をしていました。
近藤さんが石坂家で談笑し、ふと庭に目を向けると、庭の血梅が花を咲かせていました。
血梅(ちばい)というのは、花びらの小さい、原種に近い紅梅です。
華やかなものが多い現在の紅梅に比べると、ずっと慎ましく、枝を切ると中は血がにじんだように真っ赤。それで血梅という名で呼ばれているのです。
こちらが血梅の花です。
見事な血梅を近藤さんはとても気に入り、激賞しました。
そんな近藤さんの姿に、きっと石坂さんも嬉しかったのでしょう。
「それでは後日、接ぎ木か取り木をして贈りましょう」、そう約束を交わしたそうです。
しかし、文久3年に近藤さんは土方さん達と京都へ。
新選組局長として歴史の激流に呑まれていき、近藤さんは慶応4年4月25日、板橋で斬首に。
時を同じくして、石坂さんの方もまた、歴史の流れに翻弄されていきます。
度重なる長州討伐や甲州出張、そして急きょ赴任した日光勤番で不運に見舞われました。
着任早々、官軍が攻めてくる中、東照宮を守るため無血で日光を明け渡せざるを得ず。そのことに、味方からも責任を強く追及する声が。
ついに耐え切れなくなった石坂さんは慶応4年、旧暦の閏(うるう)4月に切腹。
ふたりの約束は、果たされることはなかったのです。
明治維新後、石坂家の隣にひっそりと残されていた血梅は、昭和20年の八王子空襲で黒焦げに。しかし、やがて幹から芽吹き、花を咲かせるようになりました。
この梅の接穂(つぎほ)を入手されたのが今回お声かけいただいた谷さんお父様のご友人で、何本か育てたうちの1本を『お父様が新選組好きだったから』と、谷さんに贈呈。
時は流れて、こうして約束の血梅は、会津の地で眠る近藤さんの側に植えられることになったのです。
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植樹祭は6月12日、近藤さんのお墓の前で、天寧寺ご住職の読経から開始。
厳かさの中にも温かみが感じられるお経が響く中、主催の谷さんと、石坂弥次右衛門ご子孫、榎本武揚ご子孫、会津新選組同好会様、天然理心流 試衛館様など、錚々たる方々がご焼香されました。
途中から雨が降り出しましたが、植樹祭は続きます。
写真左が、近藤さんのお墓と土方さんの慰霊碑の前に植えられる、血梅。こちらを看板と共に植えていきます。
まず石坂さん(ご子孫)が、血梅に土を盛ります。
近藤さんと石坂さんの約束が、160年の時を経て叶えられた瞬間でした。
近藤さんの感激の涙なのか、雨は強さを増していきましたが、参列された皆さんに続き、私も土を盛らせていただきました。
第22代ひの新選組まつりの隊士達と共に、という気持ちで土を盛りました。
その後、天然理心流 試衛館様の武術奉納。
この時ピタッと雨がやみ、陽射しが!!
なんだか近藤さんが、稽古をしっかり見届けなければと雨を止ませたかのようです。
土方さんが唯一手を合わせる事が出来た、近藤さんのお墓。そして松平容保公のお側、会津城下を見渡すことのできるこの場所で。
植樹された血梅はしっかりと根を張り、これからの会津を見守っていくのでしょう。
この夏、会津では2022年7月23日(土)から9月19日(月・祝)まで、鶴ヶ城公園内にある福島県立博物館で「新選組展2022」が開催されています。
土方さんの愛刀「和泉守兼定」展示もあり、「刀剣乱舞-ONLINE-」の和泉守兼定のパネル展示やコラボグッズも販売、様々なイベントが予定されています。
新選組展を見に行ったら、ぜひ近藤さんのお墓のある天寧寺まで足を運んでみてはいかがでしょうか。
今回このコラムを書くにあたり御助力いただきました
谷 亨司様
天然理心流 試衛館 様
天寧寺様
本当にありがとうございます。
会津は、一度行けばまた帰りたくなる、まるで故郷のような場所です。
次のご縁は、いったいどこに続いているのか。
沢山の素敵なご縁に恵まれることを願って。
それでは皆様。また、お会いしましょうね。
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