皆さん、こんにちは。令和初のミスター土方です。
風の涼しさに秋を感じる事も多くなり、コロナも少しずつ落ち着いてきました。いろんな場所にお出かけしたくて、うずうずしているのではないでしょうか。
今回は、昨年ご縁をいただきました『京都守護職新選組巡礼会』様の記念行事に参列してきました。文久2年9月24日、会津藩主・松平容保公が京都守護職に就任されてから160年を迎えることを記念したものです。
そして昨年秋にスタートした大好評企画、新選組ゆかりの3つの寺院を巡って特別御朱印をいただく「京都守護職 新選組巡礼」の第2弾が2022年のこの日、9月24日(土)より開始になりました。
新選組巡礼については昨年の記事でもご紹介していますが、京都守護職本陣のあった「金戒光明寺」、会津藩の練兵場が置かれた「聖護院」、そして新選組隊士達の訓練場であった「壬生寺」のうち、最初に巡拝される寺院で専用の台紙をいただきます。
台紙は、京都守護職が設置された文久2年(1862年)にちなんで1,862枚限定。そして今年は、A5サイズのクリアファイルも一緒にいただくことが出来ます!
コロナ禍で、神社仏閣でいただける御朱印も、今は書き置きがほとんど。
御朱印帳を持ってきていない時は御朱印をどうやって持って帰ろうかと悩んでしまうこともありますが、このクリアファイルがあるおかげで安心してカバンの中にしまえます。ありがたい心配りですね。
御朱印をいただく台紙には、各寺院の「御影」(神仏等のお姿を描いたもの)が印刷されています。
こちら、参画寺院のご僧侶がデザインされたとのこと!とても素敵ですよね。
左から、聖護院/毘沙門天、金戒光明寺/千手観音菩薩、壬生寺/不動明王
皆さんも、まず台紙をゲットして、新選組の市中見廻りのように3つのお寺を楽しく巡ってみてくださいね。
秋晴れの金戒光明寺で御朱印をいただいた後は、塔頭(たっちゅう、境内にある別院のこと)である「西雲院」へ。
鳥羽・伏見の戦いで戦死した會津藩士が眠る「黒谷會津墓地」があるこちらで、京都守護職就任160年を記念した墓前祭に参列させていただきました。
會津墓地に眠る會津藩士を今も見守られておられるような松平容保公の像も、この日はなんだか少し嬉しそうに見えます。
法要の参列者は、全部で50人くらい。今か今かと待っていると、おりんの音と共に3寺院のご僧侶の方々、そして演武を奉納される「天然理心流試衛館]の皆様も。新選組局長・近藤勇が館長を務めた流派です。
厳粛な雰囲気の中、金戒光明寺執事長・西雲院ご住職と僧侶の皆様による読経の声が響き渡ります。
このように宗派の違う3寺院の僧侶様方が合掌されるのは、とても珍しいこと。會津藩と新選組が結んだご縁によって実現したのです。
試衛館の皆様から一般参列者へと、焼香が続きます。
このとき、一陣の風が木々を揺らしました。もしかしたら会津藩士の皆様が喜んでくださったのかもしれません。
そして、天然理心流試衛館様の演武奉納。
6月に会津を尋ねた前回のコラムで拝見した、天寧寺での演武奉納が懐かしい!
今回は京都道場の門下生さんと共に演武奉納されました。
演武は、まず礼から始まります。
刀を抜き交えるとは生死にかかわること。自然と発する声も荒々しくなり、勢いよく振り下ろされぶつかり合う木刀。
武人の迫力に、参列者の皆さんも息をのみます。
このように相手の腕を取り急所を狙う型も。
こんなに間近で演武奉納を見られるというのも、なかなかないことです。
演武の奉納が終わると、次は献杯。
ご用意いただいたのは、戊辰戦争150年記念に造られたという特別なお酒、会津・末廣酒造の「忠義」。
これからも毎年こうして墓前祭が執り行われることを願って、参列者全員に杯が配られました。
皆さんと献杯させていただいて、墓前祭は無事に終了。
墓前祭の模様は、京都守護職 新選組巡会様のYouTubeチャンネルにて視聴できます。
さて、墓前祭に合わせて「京都守護職・新選組関連寺宝 特別公開」も1日限りで実施されました。
なんと運の良いことに、西雲院ご住職に直接ご寺宝の説明をしていただけました!
お写真も、たくさん撮らせていただきましたよ。
こちらもご住職の説明とともに、YouTubeで公開されています。。
(2022/9/24 金戒光明寺塔頭西雲院 京都守護職・新選組関連寺宝解説 - YouTube)
このコラムでは、特に印象深かった何点かだけ、抜粋してお届けします。
會津藩松平家の15条の「家訓」の複製。
本物は會津の地にあり、「かくん」ではなく「かきん」と読みます。
松平容保公は最初、将軍・徳川慶喜公と老中・松平春嶽公からの再三の京都守護職就任要請を断っていました。なぜなら、浦賀(神奈川県)や蝦夷地の警備も會津藩の仕事、財政は火の車でした。
しかし、松平春嶽公が會津藩家訓の第1条「徳川本家が困った時には忠勤忠義を尽くさなければならない」を引き出して説得したため、ついに容保公は京都守護職に就任することになったのです。
錦絵「会津軍記」 早川松山画
こちらは戊辰戦争で会津若松城が陥落した時、絵の中央の容保公が新政府軍の軍監である中村半次郎(桐野利秋)に降伏状を手渡す場面が描かれています。絵には西郷隆盛なども描かれているのですが、このとき実際には立ち会っていません。容保公は実際にはゴザの上に座らされ、新政府軍が緋毛氈(ひもうせん)の上に座りました。
會津藩士は、この緋毛氈を逆賊の汚名を着せられ敗戦した屈辱の証として切り取って持ち帰り、「泣血氈」(きゅうけっせん)と呼びました。
説明文を読むだけでなく、こうしてご住職のお言葉で解説いただけることで一層理解が深まります。
そして、新選組ファンにとっては待望の「天然理心流の目録」も拝見できました。
天然理心流では、入門してから技量に応じて「切紙~目録~中極位目録~免許~指南免許~印可」と進みます。
こちらの目録は天然理心流のものとしては結構古い部類になります。
現存している新選組六番隊組頭・井上源三郎さんの目録よりも古いものです。
切紙の時点では木刀5本と書かれているだけで型名は知らされません。
目録を授与された方は、勤勉で稽古での態度も良く、センスもあったので、2年ほどで切紙から昇格した、と書かれています。
新選組局長・近藤勇は、天然理心流試衛館の四代目、道場主でした
では副長の土方さんはどれくらい強かったのか?気になる方もおられますよね?
土方さんは、免許目前の「中極位目録」でした。奉公と剣術修行を両立させながら武芸に磨きをかけていったのでしょうね。
この他に、会津白虎隊の版画や容保公の遺墨なども公開されていました。
中でも心に刺さったのがこちら。松平容保公のお名前があります。
「たたかひ今を限りとや思いけん 十あまり五たりの男の子ども 飯盛山にて腹切りて死したりけるを写し画にせしを見て あはれさのあまりに」
戊辰戦争の最中に、容保公は白虎隊の悲劇を知らなかったのです。
今みたいにメールやLINEがない時代です。画を見て初めて白虎隊の悲劇を聞き知って、詠んだものです。
その隣の、
「千代までと そだてし親のこころさへ 推しはかられて ぬるる袖かな」
ずっと生きていてほしいと願って育てた親の測り知れない悲しみを思って詠まれた短歌です。
どれほど会津の民を大事に思い、その心に寄り添おうとされていたのかがよくわかります。
ガラス越しではない寺宝公開は、新選組の歴史や容保公の心に直に触れることのできるようで、大変貴重な機会をいただけました。
京都では今秋10月1日(土)から11月27日(日)まで、京都文化博物館にて「新選組展2022」が開催されています。
「新選組展2022」公式サイト
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/shinsengumi2022/
会津での開催に引き続き、土方さんの愛刀「和泉守兼定」も展示され「刀剣乱舞-ONLINE-」のパネル展示やコラボグッズも多数販売されています。
注目の新選組展、初日に行ってきましたが、驚きました! 寺宝公開で拝見した家訓と会津軍記は、期間中こちらの会場で展示されています。
この秋もますます、新選組から目が離せませんね。
最後に、墓前祭の後の貴重なお写真を。
今回のコラムを書くにあたり、御助力いただきました
金戒光明寺様
聖護院様
壬生寺様
天然理心流 試衛館様
本当にありがとうございます。
次のご縁はどんな出会いを結んでくれるのでしょうか。
沢山の素敵なご縁に恵まれることを願って。
それでは皆様。また、お会いしましょうね!
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