東京都日野市は、土方歳三をはじめとする新選組主要メンバーにゆかりの深い場所。土方の命日・5月11日にあわせて毎年その時期に「ひの新選組まつり」が開催されるのですが、2020年と2021年は新型コロナウイルスの影響で中止になり、2022年は規模縮小ながらも2年ぶりに開催されました。
コロナ禍前、最後にして最大規模となった2019年の「新選組隊士パレード」で土方歳三役を務めたのが、「第22代ミスター土方」こと三宅一美さん。その後のまつりが開催されなかった間、三宅さんは自主的に発信活動を続けました。ハッケン!ジャパンでは連載コラムを担当。実際に史跡を訪れたり、ときには体を張った体験取材を試みたり……三宅さんならではの目線で新選組への想いを表現しつづけています。
編集部では、異例の3年にわたって「ミスター土方」でありつづけ、ついに次の代へと襷(たすき)をつないだ三宅さんに、オンラインでお話を伺いました。

以下、インタビューと原稿は2019年「ひの新選組まつり」で三宅さんを初めて取材、今回3年ぶりの再会となった歴史好きライター、堀越愛

初めての「殿」(隊士役)をつとめた「原田佐之助」(左)、初めて「組頭」になった「斎藤一」(右)。毎年の「ひのパレ」は、三宅さんと仲間たちにとってかけがえのない思い出の時間
 

ひの新選組まつりと「新選組隊士パレード」

「ひの新選組まつり」でいちばんの見どころ、「新選組隊士パレード」(通称ひのパレ)。それは、前日の隊士コンテストを勝ち抜いた面々が隊士に扮して甲州街道を練り歩くという一大イベントです。
(三宅一美さんが「第22代ミスター土方」となるまでの物語は、こちらの記事で)
新選組や歴史が好きというだけなら、一人で楽しむこともできたはず。それなのに、表に立つことを選んだ三宅さんを突き動かした想いとは何なのでしょうか。お話を聞くと、関わった人や新選組への「感謝を返したい」という強い気持ちが伝わってきました。その姿は、まるで新選組の隊旗に刻まれた「誠」という言葉を体現しているかのようにも思えたのです。
「誠」とは“言葉を成す”……すなわち「言葉にしたことは必ず成す」という意味が込められています(諸説あり)。
「土方歳三にはなれないけど、その背中を追って、少しでも近づきたい」。そんな強い意志と行動力で動き続ける三宅さんは、3年前初めてお会いしたときと何も変わっていないように思いました。

「22代目ミスター土方」として取材を受けたカフェでのラテアート。新選組のふるさと日野ならではのおもてなし
 

まつりのなかった日々を振り返って

———「ミスター土方」としての活動を続けた3年を振り返ってみていかがでしたか

充実した、目まぐるしい時間でしたね。隊士パレードが無かったからこそ「この3年を次に繋げていこう」「忘れちゃいけない」っていう想いは、強くありました。
私自身はとても運が良く、土方さんの没後150年という節目の年、ミスター土方に選んでいただきました。例年であれば、まつりが終わればミスター土方としての活動も、そこで終わり。私の場合、コロナ禍の期間中いろんな方がご縁を結んでくださって、おかげで思いがけなく発信の機会が多くなって……本当に「ありがとうございます」としか言えないですね。

———2020年、新型コロナウイルス拡大の影響でまつりの中止が発表されたときは、どうでしたか?

せめて何か自分にできることをしたい、とにかく来年に向けて繋げたいという思いでした。
2020年に中止の発表があったときは、前年までの「ひの新選組まつり」のパレードで新選組幹部や隊士を担当した有志の方と一緒に、Twitter上で「エアひの新選組まつり」というハッシュタグを作って投稿したんです。まつりに今まで参加したことのなかった方も一緒に疑似体験してもらいたい、みたいな感じでやってみると、ありがたいことに、思いがけない数の皆さんがそれぞれの話に花を咲かせてくださって。
その翌年の2021年も中止でしたが、個人的に「エアまつり」を開催しました。「コロナが収束したら、来年こそ絶対に参加したい」と思ってもらいたくて。そのときも皆さんの優しさをたくさん感じられ、楽しんでくださった方も多かったように思います。

———「令和初ミスター土方」として発信を続けることになったのは、コロナがもたらした偶然だった?

そもそも「ミスター土方」に選んでいただいたのは、本当に運が良かっただけと思ってるんですよ。私は刀が振れるわけでもないし、演技ができるわけでもない。ただ想いが強かった、そのことだけで選ばれたと思うんです。だからこそ、選んでくださった方々に何かお返しをしなきゃと思いました。

———個人的には、「このタイミングでのミスター土方が三宅さんで良かった」とも思いました。誰もが発信を続けられるわけではなく、想いの強い三宅さんだからこそできたことだと思うので。

いやいや、ただ「お返しをしなきゃ」って気持ちだけなんですよ。私には実際なにも返せるものはないけど、せめて自分が行けるところに行き、発信することで新選組の魅力を知ってほしいという想いがあって。

———『ハッケン!ジャパン』では、2020年10月から連載コラムを始めました。初めて“伝える”という目線をもって新選組関連スポットを巡ったことで新しい発見はありましたか?

日野や京都には、それまで何十回も訪れているんです。最初はもう行くだけで満足!という気持ちだったんですね。でもコラムを始めてからは、記事が「次は私も行ってみたい」とか「また足を運びたい」と誰かが思ってくださるきっかけの一つになれば、という思いで行動するようになってきたと思います。コロナ禍や他の事情で、行きたくても行けない人もたくさんいます。もともと詳しい方にも、たとえば周辺の飲食店など、知らなかった情報をお届けしたいなと。
それから、自分自身についても新たな発見がありました。たくさんの方の優しさにお返しがしたい、その想いひとつだけで、自分はこんなに行動的にもなれるのか。私って、こんなパワーを持ってたんだ、と気付くことができましたね。

———史跡だけでなく、周辺の飲食店なども紹介されていますね。確かに、私も記事を読んで行ってみたくなりました。

京都でも壬生(みぶ)や日野って、何もないように見えても、ちょっと歩けば面白いスポットを見付けることができるんですよね。だから、取材のときも、事前に調べるよりも実際に歩き回って、見つけたお店に取材の交渉をすることが多かったです。
私自身、どこかに行ったときは、まずはその土地のものを、牛乳を飲んでみたり地産のお野菜をいただいたりすることが大好きです。地のものを食べることで、その土地の歴史も想像できて楽しめるんですよ。

新選組の背中を追いかけて

———三宅さんに限らず、新選組が好きな若い方は本当にたくさんいますよね。新選組のなにが、そんなにも人を魅了するんだと思いますか?

たぶん、日本人って勝者以上に“負けた”歴史が気になるなんじゃないかと。結果、命を失うとしても「自分の誠を貫く」というのは、なかなか、今の時代ではできない。そこまでして名を残し、自分のなりたかったものになれた。新選組のそういうところに惹かれるんじゃないかな、と思います。
あと、150年前って実はそんなに昔じゃない。ギリギリお写真が残っているというのもあって顔がわかる。この人と同じように想いを貫く生き方が、自分にだってできるんじゃないか、そう思えるから余計に好きになるんじゃないでしょうか。

———たしかに、150年前なら近いご子孫で今もご健在の方がたくさんいらっしゃいますね

今年2022年の隊士コンテストでは、近藤勇さんのご子孫が審査員として来てくださいました!96歳とご高齢ですが、「ぜひ来年も審査員としていらしてください」とお声をかけさせていただきました。
新選組って歴史的には負けた側なので、その後“逆賊”とされて酷い目にあわれた方も多いはず。だから、子孫であることを隠す方もいらっしゃる。こうしてご子孫として表に出てきてくださってること自体が、ものすごく貴重なんです。だからこそ私たちも、ご迷惑をかけないよう配慮のある行動をしていきたいとずっと思っています。

———2022年の隊士コンテストで、新たに沖田総司役に選ばれましたね。動画を拝見すると、一次審査では日野や新選組への感謝と愛情、まつりを盛り上げようと皆さんを鼓舞するパフォーマンスが印象的でした。どのような想いから、あのパフォーマンスに繋がったんでしょう?

この3年、誰かに頼まれたわけではなく勝手に「ミスター土方」として発信してきたんですけど、なんだかとてもあふれ出る想いがあって……普段は主にTwitterでやりとりさせていただいて思うことは、想いを140字で伝えるのは、本当に難しい。自分の声で直接感謝を届けたい、とあのとき思ったんです。一緒に隊士コンテストに参加する皆さんへ“最後の檄”(げき)を飛ばすというつもりであのパフォーマンスになりました。

———「ミスター土方」としてのラストメッセージみたいなことでしょうか?

そうですね。それもありますし、私個人からという側面もあります。だからこそ、3年前と同じ衣装、同じ総髪の髷(まげ)であの場所に立ちました。ようやく「ひの新選組まつりが帰ってくる!」という想いもありました。

———3年前は「自分がミスター土方になる!」という強い気持ちで隊士コンテストに参加した、というお話をされました。今年はそうではなかったんですね。

そうですね。役をいただく・いただけないより、「想いが伝えられればそれで良い」という気持ちでした。

———二次審査、決められたセリフを読み上げる演技で、三宅さんが演じながら涙を流されていたのが印象的でした。

自分が泣いていたこと、実は覚えてなかったんですよ(笑)。22代ミスター土方に選ばれたときもそうなんですけど、あまり記憶が無くて……。
でも、目の前に“だんだら羽織”が見えていたことは覚えています。客席の皆さんやカメラとかではなく、二次審査のパフォーマンス中に、だんだら羽織を着た背中が見えたんですよ。涙を流したのは、その背中が私のなかで、病に倒れる沖田さんに重なったからじゃないかと思います。

———「ミスター土方」は次に代替わりしましたが、ハッケン!ジャパンでの「令和初ミスター土方」としてのコラムは今も続いています。連載を続けていくにあたり、意気込みをいただけますか?

コラムには新選組と縁の深い神社仏閣のことを書かせていただいています。いずれも私にとっても大切で、大好きなものばかりです。まだまだ読者の方と一緒に発見したり、体験したいことはたくさんあって。
例えば、今年の春に石田散薬のコラムを書いたときは“自分で薬を包む”体験をしました。今の時代、薬を包むなんてしないでしょうが、でも土方さんたちは実際やっていたんですよ。「その人たちが生きた時代を疑似体験する」ことも歴史の楽しみの一つと思っていて。それをやっているときは「自分も江戸時代にいる」んです。
これからも、コラムを読んでくださる方と一緒に、新選組の背中を追いかけていきたいですね。
あと変化としては、新選組に一見関連の無い神社仏閣のことや日本の文化など、読んでくださった方にとって「ちょっと気になる」ことを増やしていきたいですね。

そんなわけで、これからもまだまだご縁を結んでいきたいと思っていますので、よろしければ縁合わせの旅にお付き合いいただければ幸いです!

【22代目ミスター土方】

本名・三宅一美。東京・日野市で毎年5月行われる、新選組ファン大注目の『ひの新選組まつり』で2019年、令和初の土方歳三役「ミスター土方」に選出される。コロナ禍の2020年秋、新選組ゆかりの地を巡る活動のなかでご縁を結んできた神社仏閣、おすすめのお店、そしてお世話になった方々のことを語る新コラムがスタート。2022年5月、3年ぶりに開催された隊士コンテストで新たなミスター土方にバトンを渡し「25代目・沖田総司」役に選ばれる。
 


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