母と娘の絆を深める「紅さしの儀」と紅皿
「紅さしの儀」。一般的には何のことだかわからない言葉かもしれませんが、きっと和婚に憧れる花嫁なら知っている、人気の演出です。
結婚式で花嫁姿を誰より喜んでくれる人、お母さんやお祖母さんに見せたい。だからこそ伝統的な和の結婚式を選ぶというケースが近年目立ちます。
仙台市出身で現在は首都圏・湘南に暮らす松本文美さんも、そんな一人。2019年秋、山形県鶴岡市の出羽三山神社で結婚式を挙げました。
「お母さん、今までありがとう」「とてもキレイよ、幸せになってね」。日本中で繰り返されてきた会話が聞こえてきそう。紅さしは、母と娘が向き合う大切な節目の時間(写真提供「やまがたの花嫁」)
和の結婚式挙げた文美さんとお母さんにとって特別な思い出となったのが、この「紅さし」の体験でした。
山形の神社結婚式を専門に手がけるプロデュース会社で勧められて「お母さんとの思い出になることなら、ぜひしたい!」と思ったのだそう。
山形の誇る日本遺産、出羽三山神社で結婚式。聖地と呼ぶにふさわしい独特の雰囲気が子どもの頃から大好きだったという花嫁は、お母さんと一緒に思い出深い時間を過ごしました。(写真提供「やまがたの花嫁」)
お母さんに紅さしをしてもらった「紅皿」は、文美さんが大切に持ち帰り、現在は新居の玄関に飾られているそうです。
皿のなかで玉虫色のグリーンに輝いているのは、紅花からつくられた天然由来の紅。
何層にも塗り固められた紅は、水に濡らした筆で唇にのせると柔らかな赤に染まるのが、なんとも不思議で神秘的です。
この紅皿は、山形県産にこだわったお祝いのプレゼントとして挙式プロデュース会社(やまがたの花嫁)が選んだもの。
つくった会社は米沢市内にあります。つくり手である株式会社新田の新田克比古常務に、山形の紅についてお話を伺ってきました。
紅のふるさと、山形県最上地方
山形県の最上地方は、日本一の紅花の産地。紅花は気候風土の合う最上で古くから栽培され、地域を支える大事な作物でした。
その昔、山形の紅花からつくられた「花餅」(はなもち)は、最上川から海へ。
北前船で京都まで運ばれ、着物や化粧品の紅などに加工されて、都の人々の暮らしに華やかな彩りを与えたのです。
船は、帰り荷として山形に呉服や塩、当時最先端だった京の文化を運びました。
江戸時代には、全国の生産出荷量の6割以上を占めるまでになり、花餅は換金作物として扱われていました。
つまり、紅花が山形の経済を支え文化を築き上げた、と言っても過言ではありません。
明治維新以降、近代化により安価で簡単に染まる化学染料が海外から輸入されるようになって、紅花の衰退が始まります。
さらに1941年に戦争が始まると、食糧増産政策により紅花の生産自体が禁止に。贅沢品よりも少しでも食べられる作物を、という国の方針でした。
しかし戦後になって、紅花産業は奇跡の復活を遂げます。
かつて紅花を栽培した農家が大切に保管していた種から花が咲き、そこからまた少しずつ種を増やしていくことができました。
その後、貴重な紅花を守るために生産組合も組織され、紅花の栽培と加工は、現代まで続く山形の一大産業に。
2018年には山寺とともに「日本遺産」に認定され、いまや山形観光の目玉のひとつになっています。
そんな山形県内の歴史ある城下町である米沢に、現在も紅花染めを守り続ける老舗が、株式会社新田。
1884年創業。三代目の秀次・富子夫妻が紅花紬(つむぎ)を発表し、現在は五代目の新田源太郎社長を筆頭に紅花染めの生産と紅花文化の発信を日々続けています。
そうした活動の一つが、文美さんや和婚の花嫁が体験してきた「紅さし」に使われる紅皿だったのです。
新田家は米沢藩祖・上杉景勝公とともに越後から移住してきた武家。明治に入ってからの創業当時は袴をつくる機屋(はたや)だった。社屋は当時の米沢城址、現在の上杉神社からすぐ近くにある。
紅花から紅ができるまで
株式会社新田の信念は、昔ながらの技法を守って紅花の生育と染めを行うこと。
種蒔きから花摘み、花餅作り、紅染め、そして商品化に至るまで、すべて山形県内で一貫して手掛けるのが新田のこだわりです。
紅花から加工に使われる「花餅」ができるまでの工程。毎年4月に種を蒔き、間引きなどを経て、毎年7月中旬に花摘みが行われる
(画像は株式会社新田ホームページより)
紅花は、織物の染料や紅皿だけでなく、様々な用途で使用されています。例えば、紅花饅頭やおひたしなど食用、薬草、化粧品など。
紅花は体に入っても無害で、食用や薬用にもなる、安全安心な原料です。
貴重な紅花から手作業でつくられた「紅皿」は、日本の伝統的な化粧用具ですが、近年オーガニックの観点から再び注目されることに。
食品にもなるほどの安全性が評価され、婚礼以外の用途でも、全国からオンラインで注文が入る人気商品になりました。
「紅花がつくりだす赤には魔を払う意味があり、古来祝いの色として伝わってきています。結婚式という晴れの場で、山形の紅が次世代に受け継がれているというのは嬉しいことですね」と新田さん。
株式会社新田では、紅花染の糸から織り上げて米沢織のさまざまな製品をつくっている。一見そうとはわからない色合いの布でも、紅が入っていることで独特の柔らかく高貴な趣が加わる
山形の人々が守り育てた紅花の文化
紅花は、もとは中央アジア原産の外来種の植物。はるか昔、シルクロードを経て日本に伝わりました。
平安時代の和歌や源氏物語にも「末摘花」(すえつむはな)の古名で登場し、特に産地である山形では「県の花」として広く親しまれています。
「遠く離れた中東から紅花が日本に伝わり、現在もこうして紅の文化として継承され続けていることは奇跡的で、とても感慨深く思います」と新田さん。
たしかに、歴史を振り返ると、紅花は常に時代に合わせて在り方を変えながら受け継がれてきたのです。
伝統的な化粧用品である紅皿が、非日常を体験できる和婚の「紅さし」として使用されて、そのシーンには欠かせない人気のアイテムとなっていることもそう。
小さな紅皿が結んだ母娘の絆もまた、山形の人々が長い年月を経て辛抱強く守り育てた紅花の文化と同じように、永く受け継がれていくことでしょう。
取材協力
株式会社 新田 https://nitta-yonezawa.com/
やまがたの花嫁 https://yamagata-hanayome.jp/
取材・構成/ハッケン!ジャパン編集部 文/堀越愛
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