東京の赤坂という地名から、どんな場所をイメージするだろう。大小の企業本社が集まるビジネス街をイメージする人もいれば、仕事終わりに行きたい美味しそうな飲食店がたくさん、テレビ局のTBSがあるから運がよければ有名人に会えるかも、と期待する人もいるかもしれない。
そのいずれもが赤坂という街の一面だが、実はそれだけではない。江戸時代から育まれてきた伝統的な文化が、今も残る場所でもある。

そもそも、どうして「赤坂」という名前になったのか。赤坂の街の歴史と成り立ちを知る上で欠かせないキーワード、「茜」(あかね)に注目してみよう。

赤坂と縁の深い、植物の「茜」

茜(あかね)といえば色の名前。「茜さす」という言葉から、夕焼けに赤く染まった空の色を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。
実際には、茜は日本固有種の野草「茜草」(アカネ、アカネグサ)の根から染める、オレンジがかった赤色のことだ。日本茜の根から染めた場合、そのままでは淡く、何度も染めを重ねることで夕焼け空のような深みのある美しい色になる。

そして江戸時代の「赤坂」は紀州徳川家の中屋敷のあった「紀伊国坂」の別名で、当時そのあたりは茜草がたくさん自生して「赤根山」と呼ばれていたらしい。諸説あるが、赤根山に上る坂だから「赤坂」と呼ばれるようになったともいわれている。
この紀州徳川家出身で八代将軍となった徳川吉宗公が茜染めに注目、産業として奨励する。ドラマ「大奥」や「暴れん坊将軍」でおなじみ、江戸中期を代表する名君だ。

さらに幕末の頃、江戸開城の立て役者として知られる幕臣・勝海舟が赤坂の地に居住していた。幕府の使節団の一員として軍艦「咸臨丸」で初めて太平洋を渡った際、掲げられた旗は茜染めだったという。
開国を迫る外国に負けないようにと掲げられた日章旗は、明治維新以降、正式に日本の国旗となる。つまり、茜色は、元祖「日の丸の赤」でもあった。

しかし明治以降、欧米から発色の鮮やかな化学染料が輸入されて普及。手間とコストのかかる草木染めは過去の遺物として忘れ去られ、人名の「茜」や「茜色の空」という言葉だけが残った。
赤坂の街でも、戦災と復興の都市開発によって茜草はすっかり姿を消し、そもそも赤坂の名前の由来は~と語られることもなくなった、はずだった。

ところが令和の現在、赤坂の茜はしぶとく復活している。場所は、赤坂の街の歴史と伝統を今に伝える赤坂氷川神社

神社境内の一角で茜草を栽培

赤坂氷川神社といえば、奇跡的に震災や戦災を免れた東京都有形文化財の本殿が残る、都内では稀少な江戸時代の面影を感じられる神社だ。
この本殿を建立した徳川八代将軍・吉宗公は、平安初期の様子を記した書物の「延喜式」(えんぎしき)を愛読。古来の染色法を知り、茜染めに関心をもったと伝えられている。

赤坂とは縁の深い茜草の栽培を赤坂氷川神社に提案したのは、江戸文化を再発見し伝承する活動を行っているNPO法人「江戸前21」の石山恒子さん。こうして2021年、境内の一角で茜草の栽培が始まった。

「赤坂では姿を消した茜草ですが、日本各地の野山で自生し続けていました。一見ただの野草なので、貴重な日本茜であるとも気づかれず、自然のなかでひっそりと生き続けていたのです。見つかって保護された茜草の苗を分けてもらって、神社の境内で育てることにしました」
と語るのは赤坂氷川神社の禰宜(ねぎ)・惠川義孝さん。

地名の由来を伝える特別な授与品

赤坂と茜の由来について、いまとなっては地元でも知らない人が多いと禰宜の惠川さんは言う。
そこで赤坂氷川神社では授与品として、境内で育った茜草の根から染めた和紙を表紙にしたオリジナルの御朱印帳「あかね」をつくった。

さらに、茜の色に夕日ではなく初日の出をイメージして、1月1日~8日までの特別御朱印「初茜」(はつあかね)も考案。
赤坂氷川神社では、月参りの御朱印「かさね」にも日本の伝統的な季節を示す配色「襲の色目」(かさねのいろめ)を取り入れ、参拝者に喜ばれている。

縁結びの御利益で知られ、若い女性参拝者の姿も目立つ赤坂氷川神社では、お守りや御朱印などの授与品はかわいらしいデザインのものが多い。なかでも、色を出すには大量の茜草と労力が必要になる御朱印帳「あかね」は、赤坂氷川神社だけの特別な授与品として必見だ。

茜の色とかたちがつなぐ地域の伝統と誇り

赤坂氷川神社の茜は、赤坂の街の新たなシンボル的存在にもなりつつある。神社に根付いた茜から株分けして、地域の小学校やTBSを始めとした街の施設でも茜草を育て始めているそうだ。

2024年3月に行われた東京都主催のデザイン&ファッションウィーク「TOKYO CREATIVE SALON」に参加した都心10エリアのうち赤坂は、様々な分野の芸術文化活動と並んで、街の伝統文化をテーマとして発信。期間中はアートプログラムの一環として、茜染めの布で茜草をかたどった巨大なインスタレーションが赤坂Bizタワー2Fアトリウムに展示された。

5月25日・26日には、赤坂サカス広場で茜まつり」と題した地域イベントが開催された。
会場内では、赤坂らしい飲食店が多数集結するグルメイベントや多彩なステージイベントとともに、「日本茜の里・赤坂」を紹介するブースも登場。

「茜まつりは、会場となるTBSを始めとした地元企業や数々の飲食店、区議会や町会の青年部、街の鎮守である赤坂氷川神社など、さまざまな立場の代表が集まって運営する地域のお祭りです。この場でも、茜と赤坂の由来を皆様に知っていただきたいと思っています」(惠川さん)

そして、赤坂エリア最大のお祭りとは毎年9月に行われる「赤坂氷川祭」
江戸時代から300年以上つづく赤坂氷川神社の祭礼では、神輿渡御と並んで壮麗な江戸型山車(だし)が最大の見どころになり、このうち中ノ町会の山車では、茜で染め上げた茜囃子(あかねばやし)の新しい幕が張り出される予定だという。

街の賑わいをつくりだしている新旧の飲食店街でも、茜染めのノレンを掲げる活動が始まっている。
かつては地元小学校の校章にもなっていた茜草のマークが赤坂の街中のいろんな場所で見られる日も、遠からずやって来るかもしれない。


どこでも同じ便利な大都会に見える東京の街も、住んでいる人にとっては地元や故郷で、それぞれに異なる歴史と文化がある。
一度は忘れられた存在だった赤坂の茜が、こうして人と地域のつながりのなかで息を吹き返し、新たな価値を持ち始めた。それをつなぐ場所が街の神社であったことは興味深い。
 


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