伝統の手法による、京紅づくりの歴史

京都土産の定番、あぶらとり紙で知られる「よーじや」は、舞台化粧の白粉や紅から始まって100年以上の歴史をもつ老舗。京の美意識を大切に伝えつづけ、いまなお、最高級の京紅づくりを続けています。

時をさかのぼって江戸時代、多くの女性を虜(とりこ)にした、不思議な玉虫色に輝く紅がありました。
「紅匠」(べにしょう)と呼ばれる職人が生み出す鮮やかな紅は、大変な高値で取引される、憧れの的。その玉虫色こそが、純度の高さの証。紅花から抽出した自然の「赤」を、「玉虫色の紅」にまで昇華させることができるのは、磨き抜かれた技を持つ「紅匠」だけといわれています。
その当時の様子は、後に水上勉が1968(昭和43)年、雑誌「主婦の友」誌上で発表した『紅花物語』にも描かれたほど。よーじやの京紅を手掛ける京紅職人・徳田安太郎氏への取材に基づき、京紅の魅力を伝える小説は、その後、舞台化もされて大人気を博しました。

よーじやが使用するのは、山形産の最高級紅花からつくられた紅餅(べにもち)のみ。
そもそも、紅花の花は99%が黄色の色素で、赤色の色素はわずか1%しかありません。そのため、ひとつの製品をつくるには、約4000個もの紅花が必要になります。
さらに、美しい紅がつくられるのは年に一度、厳しい「寒」の季節だけ。なぜならば、冬の冷たく澄んだ空気が紅花と使用する水の品質を保ち、鮮やかな赤色を生み出すからです。それゆえに、この時期につくられる「寒紅」(かんべに)は最高級の紅として重宝され、昔も今も人々に愛されてきました。

しかし時代とともに、海外から輸入されたカラフルな化粧品や安価な化粧品が台頭するようになると、値の張る京紅の売れ行きが減少。街中に多く居た「紅匠」も、段々と数少なくなっていきました。けれど、売れないからといってつくることを止めてしまったら、紅づくりの技が廃れてしまいます。
そんな危惧のもとに、よーじやは、紅の代表格である京紅を扱う京都で唯一の会社となり、「最後の砦として、京紅の伝統を途絶えさせるわけにはいかない」という気概と覚悟を持って、京紅づくりを今も受け継いでいるのです。

粧具としての京紅。美しい紅の濃淡は自由自在に

100%天然成分の京紅は、食べても安心なほど究極のオーガニックコスメとして近年、再び注目されつつあります。
京紅は、水分量や重ね塗りの回数で、淡い桃色から深紅色まで好みの色に調整できるため、少しずつニュアンスの違うリップスティックを何本も持つ必要がありません。肌色や着る物の色に合わせて濃淡は思うがまま。
食事をしても落ちにくいのに、普段のメイク同様にクレンジングで簡単にオフできる優れもの。
化粧品の種類がいまほど多くなかった時代は、口紅に限らず、アイメイクやチーク、ネイルにまで紅は多用されていたものです。

日本古来から伝わる紅の色は、日本人の肌によく馴染み、メイクのポイントとなってくれます。紅筆を使って「紅をさす」仕草もまた、美しいものではないでしょうか。筆の代わりに、「紅さし指」と呼ばれた薬指を少し湿らせて紅をひいていく姿もまた、艶めいたものです。

そうした日本の伝統色や和文化への興味から、京紅は大切な人への贈りものとして人気が高く、近年は自分用にと買い求める人も増えたといいます。

輝く赤は、人生の特別な日を祝福する色

魔除け・厄除けの色である「赤」は、古よりハレの日に彩りを添えてきました。
おめでたいことがあれば赤飯を炊き、お宮参りや七五三、婚礼、そして成人式と、門出の日にこれほどふさわしい色はありません。生命の象徴ともいえる「赤」を、女性たちは大切な日に衣装や化粧に用いてきたのです。

人生の節目、大事な記念日を祝福する赤には、多幸の祈りさえ込められているよう。また、使う人によって紅の色が変わり、肌色に馴染むことで自分自身に最も似合う色に発色するという点でも、特別感を演出してくれます。
ここぞというハレの日に、ゆっくりと静かに上質な紅をさしながら想いを馳せるのは、きっと佳きひとときとなることでしょう。

 

よーじや https://www.yojiya.co.jp/

 


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