7月3日の新札発行で、おなじみの福沢諭吉から渋沢栄一へ、一万円札の顔が変わることはご存知でしょう。
ゆかりの各地を中心にお祝いムードが盛り上がっていますが、渋沢栄一が暮らした街・飛鳥山のある東京都北区では、乾杯にぴったりの新しい日本酒が誕生。
その開発と製造を北区観光協会より託された都心の酒蔵「東京港醸造」の寺澤杜氏にお話を伺いました。
 


国立印刷局特設サイトより https://www.npb.go.jp/ja/n_banknote/design10/

新一万円札の顔、渋沢栄一って何をした人?

2024年7月3日から発行される新一万円札の表面に描かれた肖像は、「近代日本経済の父」と呼ばれ、主に明治・大正の実業界で活躍した渋沢栄一。NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で、人気俳優の吉沢亮さんによる熱演が話題になりました。まず、その人生のおさらいからーー。

渋沢栄一は江戸末期、1840年に現在の埼⽟県深⾕市の農家に⽣まれました。幼少から家業を手伝うかたわら「論語」などを学んで士分に取り立てられ、後に幕府第15代将軍となる一橋家の徳川慶喜に仕えます。めざましく実⼒を発揮し始めた彼は 27歳で幕府の欧州視察団の随行員に抜擢され、海外で先進国の政治・経済と暮らしを⾒聞したことが、後の人生に決定的な影響を与えます。

帰国した渋沢栄一を待っていたのは1867年の大政奉還から明治維新に至る大変動。ここで明治新政府に招かれ、⼤蔵省の⼀員として新しい国づくりに深く関わることに。
1873年に⼤蔵省を退き、⺠間の経済⼈・起業家に転身。第⼀国⽴銀⾏(現・みずほ銀行)ほか企業の創設と育成にあたり、約500社もの経営に関与。福祉・教育事業にも力を注ぎ、1931年、実り多い⽣涯を91歳で閉じました。

渋沢栄一と東京北区のつながり

幕末から明治・大正・昭和初期を駆け抜けた渋沢栄一にとって人生の拠点となった地が、東京の北区でした。
きっかけとなったのは1873年「抄紙会社(現・王子製紙株式会社)」の設立。初の民間による製紙事業で、⼯場立地の選定に関しては渋沢栄一自ら各地を調査、豊富な⼯場⽤⽔の⾯から北区王⼦に決定したのだそうです。
また、製紙⼯場を見渡せる飛鳥山(現・飛鳥山公園内)に4000坪の⼟地を購⼊、職住接近を重視して別荘を構えました。後に本宅も移し、61歳以降の⽣涯をそこで過ごします。飛鳥山の邸宅は要人との交流や会議に、⺠間外交の場として、日本の新時代を動かす舞台にもなりました。

飛鳥山にあった渋沢栄一の邸宅跡は、史跡として一般公開されています。旧渋沢邸宅の「渋沢史料館」で、その生涯と事績に関する資料を収蔵および展示するほか、当時の面影を残す「晩香廬」「青渕文庫」など、渋沢家ゆかりの貴重な史跡が公園と周辺に点在。渋沢栄一が当時何を考え、どのような暮らしをしていたか、現地を訪れて自由に想像することができます。
大河ドラマ放送から新一万円札発行の決定を受けて、飛鳥山公園内では「れすとらん館」「飛鳥山おみやげ館」など、観光関連の新施設やリニューアルが続いています。史跡をめぐる観光ツアーも企画され、新一万円札に描かれる肖像をモチーフにしたお菓子や多彩なキャラクターグッズが、おみやげとして人気です。

北区×渋沢栄一のプレミアム日本酒づくり

いよいよ新札発行が近づいた2024年に入って、東京北区観光協会が中心となって「渋沢栄一の日本酒を北区で新たに作ろう」というプロジェクトが発足。できあがった日本酒は、クラウドファンディングの応援購入という手段によって先行予約を受け付けました。

渋沢栄一の愛した東京都北区は、日本酒の聖地でもあります。
飛鳥山から歩いてすぐの滝野川には国の重要文化財の「赤煉瓦酒造工場」(旧・醸造試験所)があり、日本酒の研究と試験醸造、人材養成、全国の日本酒の品評会などが120年間にわたって行われました。日本酒を醸す蔵人と関係各社にとって、北区滝野川という地名は、受け継がれてきた日本酒の歴史を物語る大切な場所なのです。

日本酒造りに欠かせないのが酵母。米と水だけでは酒にはならず、酵母の働きによってアルコール発酵が行われ、日本酒の深い味わいと独特な甘い香りが生み出されます。ほかにはない「渋沢栄一のお酒」を作るために、東京北区観光協会では、産学連携により東京バイオテクノロジー専門学校の協力のもと、飛鳥山公園内で200種類以上の酵母を採取。そのなかから日本酒に合う酵母が奇跡的に見つかり、「飛鳥山酵母」と命名されました。

お米は、渋沢栄一の生地である埼玉県深谷市の「彩のきずな」を採用。「米の食味ランキング」にて、4年連続最高ランク「特A」評価を獲得しているお米です。

こうして新たに誕生した日本酒の名前は、飛鳥山と渋沢栄一から一字ずつを取って「飛栄」(ひえい)
純米大吟醸と純米吟醸の2種類を、クラウドファウンディングのMAKUAKEで6月21日まで先行販売。1本ずつナンバリング付きの限定品になりますが、7月3日以降は「飛鳥山おみやげ館」ほか、北区内の店舗での提供も始まる予定です。

記念の日本酒の発表・発売だけでなく、北区の誇る日本酒の聖地で歴史ある国の重要文化財を見学できる「赤煉瓦酒造工場プレミアムガイドツアー」も開催。内容は、ガイドによる日本酒製造の歴史に関する解説と日本酒のテイスティング、さらに日本酒と「日本の発酵食品をベースにしたコース料理」のペアリングディナー付きのプランも。ガイドツアーは2024年1月から指定日限定で実施されました。

バトンを受け継ぐ東京23区内唯一の酒蔵

渋沢栄一のプレミアム日本酒「飛栄」を造ったのは、名杜氏の寺澤善実さん。寺澤杜氏率いる「東京港醸造」は、東京都港区芝にある4階建てのビル内(約171㎡)で洗米から蒸米、麹造り、発酵、瓶詰めまでの全工程を行い、日本酒好きに愛される銘酒「江戸開城」を醸造しています。
杜氏の40年以上の経験から、限られた空間でいかに安全で効率よく酒造りができるかを追求し、だからこそ東京23区内で現在も残る唯一の酒蔵です。もちろん、日本酒の聖地としての赤煉瓦酒造工場についてもよくご存知で、今回の記念のお酒造りを北区観光協会から依頼され、専門家として指導しました。

東京港醸造では、東京の水道水でお酒を醸している点も特徴的。高度な浄水処理がなされている東京の水道水は、寺澤杜氏の出身地である京都と同じ中軟水で、じつは大都市・東京は、酒造りには適した土地だといいます。
寺澤杜氏は、酒米・酵母・水すべて東京産の「江戸開城 ALL TOKYO」や、大量の水を使用せずに済む無洗米使用の「Sustainable Sake」など、さまざまな個性あふれる日本酒造りにチャレンジ。
お酒は、いずれも造りたてを楽しむ少量ずつの限定生産で、直営店か限られた取り扱い店でしか飲むことができません。そのひとつが、北区の飛鳥山や滝野川にも近いJR王子駅前にある立ち飲みキッチンカー。「角打ち屋台酒場~江戸開城×集っこ」では、ワンコインから気軽に好きなお酒を楽しむことができます。

港区芝の東京港醸造で行われた今回の取材で、「飛栄」の純米大吟醸(精米歩合45%、度数15度)を特別に試飲させてもらいました。
上品な米の旨みに加えてほんのりコクも備え、後味スッキリした仕上がり。余韻の長さも秀逸で、日本酒初心者にもおすすめの、飲みやすい味わいになっていました。

全国各地で進む、次世代に遺す酒造り

寺澤杜氏は、2020年にコンパクト型酒造り「クラフト®蔵工房」の技術特許を取得。手で持ち運べる小型の製造装置で、タンクと麹、蒸し器があれば、畳2枚分という小スペースで酒造りが可能だそう。
日本酒というと伝統的に、広大な敷地と歴史ある蔵、大自然の中できれいな清水が流れる場所でしか造ることができないものだと思いがちですが、その概念を覆しつつあります。

コンパクト型酒造りでは、日本酒だけではなく、味噌や醤油など日本が誇るさまざまな発酵食品の製造もできます。寺澤杜氏は、東京都心で酒造りを手掛けるのみならず、日本各地でも精力的に技術指導を行っています。
鹿児島市では、東京港醸造で学んだ若い蔵人たちによるミード(はちみつ酒)づくり、徳島県や、埼玉県の秩父でも新たな醸造所がオープン。そのほかにも、今回のようなテーマ設定や特定のイベントに対応するオリジナルの日本酒プロジェクトが進行中とのこと。


令和に入って6年め、新札が発行される今年も、物価高や気候変動、少子高齢化など、明るい未来は見通せません。若い世代の酒離れや酒蔵の減少が指摘されるなど、日本酒を取り巻く環境は厳しいものです。その一方で、今回の渋沢栄一の日本酒のように、テーマを絞り込んだオリジナルな商品づくりや地域活性につながる提案など、変革に向けての動きは確実に見ることができます。

日本文化や和食を語るうえで欠かせない日本酒は、日本にしかない、日本の国酒。次世代にも遺していきたい、私たちの大切な財産です。お祝いの日にふさわしい特別感のあるお酒として、または旅や観光、街歩きの楽しみに、もっと気軽に日本酒を楽しんでみませんか。

取材協力
東京港醸造 http://tokyoportbrewery.wkmty.com/
東京北区観光協会 https://prkita.jp/

取材・原稿
中沢文子 https://fumikonakazawa.livedoor.blog/