こんにちは。嶋原の葵どす。
前回のコラムでは、うちのことを駆けるようにお話しさせていただきました。
うちは生まれた時からこの世界やったさかい、入りやすかったといえば入りやすおした。
ほな、そもそも太夫にはどうやったらなれるのか?
舞妓の場合は、仕込み期間1年程でなることができます。
芸妓になるための修行期間が舞妓やので、芸妓になるまでの5年程で一生懸命、お稽古事はもちろん、お座敷のことを学びます。
「舞妓さんが1年だったら、太夫さんは2、3年くらいですか?」と訊かれたことがあります。
何も芸事をされてない方どしたら、10年は修行してもらわんとあきまへん。そう言うと、「そんなんしてたら、太夫が増えへんやん!」とも言われます。
心配してくれはるお気持ちは嬉しおす。
ただ、太夫は芸妓の最高位と説明させてもぉてるのに、芸舞妓と同じお席になった時に「え?太夫さんってこんなもんなん?」ってなってしもぉたら、終わりどす。
例え時間がかかっても、ちゃんと「太夫」をつくっていく。それが継承への一番譲れへん部分どす。
今の時代、SNSの発達で簡単にコンタクトをとれるようになったことにより、メッセージをよぉいただきます。
SNSは、基本的に誰でもできますね。それもハンドルネーム等で。ええと思います。
せやけど、「私もなりたいです」のメッセージだけで、お名前を教えてくれはらへん方しかいはらへんのどす。
アルバイト面接や就職活動で、お名前を言わへんことてありますか??
興味を持ってくれはる、なりたいって思ってくれはることは、ほんまに嬉しおす。
でも基本的なことができてへん方にお返事はできしまへん。
まだTwitter等がなかった頃、ホームページには「メール等では受け付けません」と書いておりました。
では、どうやって伝えればええのか?ちゃんと注意して隅の隅まで読み尽くすと、連絡方法の答えが見えてくるんどす。
それを理解し、ご連絡をしてくれはった方は、ほんの2名程どした。
今はそこまで厳しくしてしまへんけど、そもそもそれ以前の問題なんどす。
舞妓になりたい、太夫になりたい。華やかな世界に憧れる気持ちもよぉわかります。
これは、お仕事に就くということなんどす。文化を背負っていくんどす。
その花街によってもルールは違いますし、血の繋がりのない方と共同生活をすることになります。
お稽古も、たんとして、人間関係というものも厳しく学びます。
このお仕事に就いてる限り、ずっと学び続けなあきまへん。
それに耐えられる覚悟がない限り続けていくことはできひんと思います。
ほんまにほんまに、なりたい気持ちは嬉しおす。
でも「なりたい」だけでは、こちらも引き受けることはできしまへん。
生半可な気持ちやのうて、本気の想いが伝わればこそ、「よい太夫をつくりたい!」という気持ちで受け入れるんどす。
それは、文化の担い手を目指したいという少女の人生を背負う覚悟があるからこそどす。
そこのところを今一度よぉ考えて決断しとくれやす。
今は、頑張ってくれている禿(かむろ)達を中心に、丁寧に育てれたらいいなと思てます。
けれど、強制はできしまへん。
禿として培った経験が、いつか社会に出たときに少しでも役に立ってくれたらいいなと願うのも、正直な心持ちどす。
花街文化を残していくためにも、どうかおたのもうします。
そして来年も、「葵太夫物語」をよろしゅうおたのもうします。
追伸
先日、京都市消防局の「秋の火災予防運動」のポスターに出演させていただき、京都市内の様々な所に貼っていただきました。
期間は終了してますけど、まだ貼ってる所もあるかもしれまへんので、ぜひ見つけとくれやす。
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