はじめまして。 東京目黒にある浄土宗のお寺、蟠龍寺(ばんりゅうじ)でお坊さんをしている吉田龍雄と申します。

みなさん、お寺ってどんな時に行きますか?多いのは法事やお葬儀、お墓参りとかかな。あとは初詣とか。最近だと御朱印を集めていらっしゃる方も増えたので、街歩きがてらお参りにとか。こう考えると、あんまり普段行く場所ではない感じですよね。

僕のいる蟠龍寺は、どこにでもある街の普通のお寺です。できたのは300年くらい前ですが、古い建物は関東大震災や東京大空襲で、すでになくなっていて、昭和46年以降に建て直したり、建て増したりしたものばかり。周りはマンションや戸建ての立ち並ぶ住宅街ですが、地元にはお檀家さんも多くなく、いわゆる「地域のお寺」って感じもあまりありません。ご本尊の阿弥陀如来以外に、伎藝の女神である辯才天を境内の祠にお祀りしているので、昔から表現をされる方々に、お参り頂くことが多かったり、境内に音楽制作スタジオがあったりしますが、普段はひっそりとした静かなお寺です。

そんな場所で僕は今、こんなことをアーティストさん達と一緒にやっています。

こちらは書道家 白石雪妃さんと音楽家 Miyaさんとご一緒しての、即興をテーマにしたパフォーマンスとワークショップの「直書観音」です。この日の題字は「なおす」。仄暗い本堂に響くフルートの音に感応するように走る筆。決め事のない一瞬の積み重ねによって出来上がる作品は、まるでこの時この場に集まった「表現者と観客」という垣根を越えた関係性を写し取ったみたい。ここでは題字をテーマに、我々の心の働きについてお話をしました。

こちらのド派手なお寺らしからぬ風情は、恵比寿にあるお茶屋さん「TEA BUCKS」に集う若いアーティストさん達が、一杯のお茶を通じてつながる世界を表現する「茶酔」。別室に設えられたサイバーな茶室で全員がお茶を飲み、巨大な流木と放棄茶園から採取された茶の木が飾られた本堂で、ヒューマンビートボックスのパフォーマンスや、エクスペリメンタル/ドローンのサウンドに合わせ、書道家とアーティストチームによる空間演出が。僕もコンセプトと絡めた極楽浄土の荘厳についての話をしました。

と思いきや、フラメンコのカンタオールでもあり、琵琶語りもされる須田隆久さんとの二人会なんかも。和蝋燭の灯りのもと、この日は道成寺を題材に、詞章に含まれる仏教的な内容を紐解きつつ、根底に流れる「慈悲」について話し合ううちに、フラメンコの根底にあるキリスト教の考え方との共通性を見出したことも。

 

お越しになるお客様は、普段あまりお寺に足を運ばれない方が多いようです。よく聞かれるのは「どうしてお寺でこんなことをしているのですか?」

何故僕がお寺でこんなことをしているかというと、現代の生活の中で、皆さんどうもお寺に来る理由がない気が、お坊さんになってからずっとしているのです。少なくとも僕と同年代の人たちが、お祖父さんお祖母さんたちがしてくださったような、お寺とのお付き合いは望んでいないんじゃないかなと…。

お弔いやお年会の法要も仏教に触れるとても大事な機会ですし、悲しみに寄り添うのもお坊さんの役目。でも、その全ての根底に流れているのは、ままならない今を生きている人達に安心を伝えることだと僕は感じています。
それぞれの安心につながる仏教的な眼差しに出会うには、仏教を伝えてきたお寺という場所を、「どこかの誰かのもの」から「自分たちのもの」にしてもらいたい。その橋渡しのひとつとして、僕は皆さんを表現者たちの視線と仏教的な眼差しの交差点にお連れして、僕たちが見ている儘ならない世界への「問い」を投げかけたいのです。

「今、あなたが生きている世界は、本当にあなたが見えているだけの世界ですか?」

こういった取り組みは、何も僕だけがやっているわけではありません。特に若手のお坊さん達は、色んな形で仏教の眼差しを日常にしようと、日夜努力奮闘しています。この手の運動の先駆けであり、2019年で9回目の開催になる寺社フェス「向源」が、5月4日・5日の2日間、うちのお寺とご近所の五百羅漢寺さん2会場を使って開催されます。東日本大震災を契機に始まったこのフェスは、宗派や宗教を越えて、皆さんそれぞれの源に向き合ってもらう経験を提供し続けてきました。今回も写真の「声明公演」をはじめ、バサラ大名に愛された「闘茶会」や、様々な名言を生み出した「お題法話~仏教用語禁止編~」など、面白い企画が盛りだくさん。皆さんと同じ時代を生きるお坊さんたちの、新しい取り組みを是非体験してください。
(イベントの日時内容は2019年度)

寺社フェス「向源」の詳細は下記サイトでチェックしてみてくださいね。
向源 
http://kohgen.org/